保育関係者や企業経営者の方や親御さんたちと話しをしていると、グローバリゼーションという言葉が出てきます。
「だから英語教育が必要だ」「いやいやSTEAM教育だ」と教育ツールやメソッドなどになっていくことが多いんですが、ちょっと待てよと思うこともある。
もちろん、そうしたことも大事だよねという前提だけれど、そもそもグローバリゼーションとは何かを考える必要があるのではないか?と思うのです。
前提って大事だよね
話はちょっと変わりますが、定期的に園長向けに研修をしています。
先日出した課題は「デパートのお中元用グラス商戦企画担当者として、企画案提出してみよう」いうもの。
出てきた答えは、こんな商品のこんな事を変えるという、それこそ「様々な案」でした。
ただ問題は、前提として、どんなデパートでやる事か?つまり、利用者層や、立地、予算などの前提がないと採用責任者として判断する事ができないという事。
これを最初に説明してしまうと気付きが少ないと思ったので、意地悪して、その辺の説明を飛ばして出したけれども、仕事でこの前提はとても大事な事です。
システム開発でも言葉を共通語にするという作業が最初にあるけれども、実は、僕が居た保育園では結構曖昧だった事でした。
IT会社に入って改めてその大切さを知ったので、園長研修では偉そうに常識だよって言ってたけれど、説明しながら自分でも「なるほどなぁ」と思っていた事はここだけの話ですw
で、その説明をしながら、ふと思った事は、言葉の定義も大事だけれど捉え方を考える事も大事だなという事です。
教育で聞かれるグローバリゼーションの誤解
日本で、コロナという言葉がメディアやSNSで聞かれるようになったきっかけは、今年1月末のクルーズ船だけれど、実は昨年末から報道はありました。
その後、4月に緊急事態宣言が発令されるまで「大丈夫か?」「気にしすぎだ」と様々な言葉が世間にあったけれど、新たに保育園開園に向け工事していた園では中国からトイレなど設備材料が入手できずスケジュールがずれ込んでしまったところも多い事はそれほど知られていない。
感染者数やその影響をダイレクトに受ける飲食店などのニュースは多かったけれど、そこで影響受けるのはそればかりでない。
日本に暮らす私たちの生活必需品である食糧や衣料、電子機器だって海外依存品で、日本だけでなく、世界のどこかで何か起これば自分の暮らしに影響する。
それがグローバリゼーションだ。
しかし、教育の世界でグローバリゼーションというと、英語教育が必要だと普通に話す教育経営者や親御さんは意外に多いと思う。
前提として、グローバリゼーションが職種や仕事環境とか、インバウンドとだけで捉えているのと、前段に書いた事、つまり影響力の強さや広さなどと捉えているのではその答えは違ってくる。
捉え方による答えの違い
日本昔話で出てくる村長などお年寄りが何故偉いかと言えば、沢山の事を知っているから、つまり情報量に因るところは大きい。
情報に価値がなくなった今、編集力が大事だというのは良く聞く。
確かに、調べれば誰れもがその情報に触れられる今、情報そのものに価値はない。
しかし、デマに翻弄される多くの人を見ると、情報量には価値はなく、それをどう咀嚼するのか、つまりクリティカルシンキングなどの処理力や編集力が大事という事になる。
■今回の小ネタ(僕が面白いと思った何でもをチラリ)
「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」という名言を残したエジソン。
白熱電球とかボイスレコーダーなんかの発明王という印象で、全く悪いイメージがない偉人の一人。
先日、イミテーション・ゲームの主演を努めたベネディクト・カンバーバッチがエジソン役を務めると言う事で観たかった「エジソンズゲーム」をやっとこさ観ました。
直流型送電派のエジソンと交流型送電派のウェスティングハウスとニコラ・テスラとの戦いを描いた作品ですが、電気自動車のテスラ始め今でも聞かれる言葉や歴史に埋もれたテスラという人物など新しい発見のある面白い作品でした。
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